少し前になりましたが、宮祭りの日に
生まれて初めて灯籠流しをしました。
母が亡くなってもう3年半。
両親はクリスチャンというのもあり、
友達が誘ってくれていたけれど
なかなか踏み切れずにいた灯籠流し。
それでもふと今年は流してみたいと思いました。
小さい頃、灯籠流しをする場所のすぐ近くに住んでいて
毎年当たり前に眺めに行ったあの場所から
母の魂を流してあげようと。
もうとっくに魂は天国にいるでしょうけれど、。
夕闇が迫る頃、田川の川縁に下りて
宇都宮中のお寺毎に並んだたくさんの灯籠の中から
母の名前の書かれた灯籠を探し出すのです。
友達が手配をしてくれたお寺さんは流す場所に一番近いので
すぐに見つかりホッとして眺めました。
片付けが楽なように紙の軽い灯籠。
でも灯りを入れていただいたらなんとなくそれなりに。
六角形の灯籠の後ろ側には母の名前と
私達3姉妹の名前を入れていただきました。
自分で川面に置けるのかと思っていたら
今はもう係の方にただ渡すだけ。
それも何人もいらっしゃるので、
いったいどの方がどこから流したのかと
一瞬焦りましたが、、
慌てて川下の方へ目をやったら
一番手前を私達3人の名前が書かれた灯籠が
ゆっくりと流れ行きました。
まるで「ここにいるよ。」と言うように。
今年初盆の方の灯籠。
友達は亡くなった妹さんの灯籠を毎年もう7年も流しているそう。
そして私達のように思いつきで流される灯籠。
灯りの入った灯籠を持つ長い列に並びながら
こんなにたくさんの魂を送る人達がいるんだと
ほんの少ししみじみと。
今年は風の具合がちょうど良く
真っ直ぐにキレイに流れているよと友達が教えてくれました。
灯籠を係の人に渡した人の列が、なかなか動かず
どこから上がるのかと右往左往。
結局下りたところから上にあがって道沿いを歩いて行ったら
先ほど戻ってしまったそのすぐ先に、こんな風に祭壇が設えてあり
そこで皆さんお参りをしてから上に上がるのだそうな。
失礼ながら上の方から手を合わせて来ました。
そのすぐ側にはたくさんのお坊さんが控えていて
大音声でお経を唱えていました。
こうしてたくさんの魂は安らかに流されて行くのでした。
もうどこに行ってしまったかわからない母の灯籠を
心の中で追いかけながら、名残惜しく歩いて行きました。
大通りに出れば、賑やかな宮祭り。
ほんのちょっぴり複雑な気持ちで歩きながら、、
それでも何年振りかで友達とそぞろ歩きを楽しみました。
暑い暑い夏の夜でした。。